別名「霞城」。約500年前に鵜籠山山頂に赤松秀村が築城。以後4代赤松氏が情趣を務める。天正5(1577)年に秀吉に降伏し開城。慶長期に天守閣は破却。江戸時代に入り京極氏により現在地に天守閣が建てられるも移封に伴い再び破却。寛文22(1672)年、脇坂安政が五万三千石で、入部するも幕府の目を気にし天守閣は造らず御殿のみの作りにする。現在の本丸御殿は昭和に入ってからの再建であるものの当時の資料に基づく復元である。(※龍野城現地案内要約)